掃き溜め

ぐだぐだ掃き溜め

ちゅうりっぷ

私はずっとわからなかった

あなたがいつ花弁を開いてくれるのか

私はずっと知らなかった

お日様に促されてるんじゃないってこと

写真でみるあなたは青空の下で

めいっぱい光を受け入れてた

重なる花弁が透けるほど

その熱を受け入れていた

 

なのに違ったの

日の光は関係なかったみたい

思わせぶりなあなたは

今はそっと身を潜めて

 

ずるいのね

 

羊飼いの教会

ニュージーランドにそういった建物があるらしい。

テカポ湖のちかくにあるその教会で愛を誓うとはさぞかしロマンチックなことだろう。

周りに星空を遮るものはない。

満天の星の下、当たればピンクのオーロラの下でプロポーズなんかもできて。

二人だけでその空間にいれることは何より贅沢な時間でかけがえのないものになるのだろう。

 

写真と映像はとても綺麗だ。

でも実際に訪れた人の全てをそこから感じ取ることはできない。

気温、風の音、匂い、自然の光、見える星の数、空の色、全て全てを感じることができて、思い出になるのだと思う。

正直羨ましいことこのうえない。

それでも人間とは忘れてしまうもので、時間とともに体験したはずのその場の空気、見た景色を思い出せなくなってしまうのだろう。

そしてなにが残るのかは、その時自分の中で湧き出てきた感情なのだと、今思うことができた。

写真、動画も大事だけど、やはりに日記などで記しておくことが最善な気がする。

かけがえのない思い出になるまでには、時間がかかりそうだ。

早朝

オールした後の帰り道だったり、遠出するときの早出だったり、初日の出を見に行く朝だったり。

とかくわたしは早朝に道を歩くことが好きだった。

世界が起きたばかりで静かな空気感が、空がだんだんと明るくなってくる様子が、とても尊いものに感じられるのかもしれない。

 

しかし毎日起こっていることなのにあまり目にしない。

理由は簡単で、そんな早くに目を覚ますことができないからだ。

好きといっても眠気には耐えられない、睡眠時間を削るほどではない。

窓に当たる光がまだ強くない午前5時。

薄目で時間を確認したあと、わたしは別世界に吸い込まれるように意識を手放した。

なんでどうして

 

一緒にいると疲れるんだよね

 

帰り道にそんな言葉で打たれてから自分が何を話してどんな顔して歩いていたか覚えていない。

そもそもなんでそんなことを言われるに至ったのか。

たしか私がネガティブで後ろ向きで自虐的なことをつらつらと好きに話していて、静かに聞いてくれていた友人がふいにため息をついたのだ。

大きなそれが聞こえて、どろどろとつまらないものを掃き出しすぎたと気づいた。

友人の顔を見てごめんと謝って、それから。

 

なんでそんなネガティブなの?

そんなこといつも考えてる暇があるなら他にすることあるんじゃないの

あんたがそうやって後ろ向きなこというと私まで落ち込んじゃう

 

続いて、言われた言葉がそれだ。

まず友人を疲れさせてたことに気づかなかった自分に心底幻滅した。

静かに聞いてくれていたのは、早く終わることを望まれていたのか。

乾いた笑みがこぼれて、同時に視界が滲む。

本当に私はろくでもない人間だ。

 

なんでネガティブか、なんて私が一番知りたい問題だ。

自分がおしゃれをする、誰かに話を聞いてもらえる、誰かに迷惑をかける、誰かの時間を奪う。そんな権利も資格も持っていると思えない。

他の人はどうしてあんなに自分にお金をかけることに躊躇がなくて、自分がいいと思う服をきて、自分から話かけて自分の話ができるのかわからない。

わからない。

私がネガティブなのか、いや全人類ポジティブすぎるんじゃないかとさえ思う。

わからない。

自信がないのか、プライドが高いのか、どうして自分でもこうなのかわからない。

自分は大した人間ではないとわかっているのにすべてを完璧に、一定以上にしなければならないと思っている。

思ってるだけで頑張れてなくて自信なんて当然のように持てなくて、

みんなどうやって生きてるのか。

 

どうして私がこんなにネガティブで、

あなたたちはそんなにポジティブなのか。

考えてもわからない。

わかるなら教えてくれよ。

 

そう考えを放棄する私はやっぱりろくでもない人間なんだろうな。

毎日変わらない白い天井を見つめて、思考のブレーカーを落とした。